歌唱力と奇抜なパフォーマンスで有名なレディー・ガガ。
「born this way」という曲は日本でも大ヒットしました。
ガガのデビューはは2008年。
割とまだ最近なのですが既に世界で活躍するスーパースターになっています。
そんなガガの母親は個性を最大限に引き出す教育をしていたんです。
2013年5月14日放送の「トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテンあなたの子どもが世界を動かす?天才の育て方教えます2時間スペシャル!」で放送されていました。
ガガの生い立ちと母親の教育エピソードを紹介します。
とにかく大事なのは個性
ガガは1986年3月生まれ。
父親はガガが生まれる前に通信事業会社を起こして1代で成功、裕福な家庭に生まれました。
母シンシアはファッションにこだわりがあるお母さんで、マリリン・モンローとマドンナを参考にしていたようです。
後にガガは、「ファッションはママとマリリンモンロー、マドンナを参考にしている」と言っていて、強い影響を受けていることがわかります。
とにかく褒めて何をしても許す母親だったんです。
母の育て方は、普通では考えられない破天荒なものでした。
しかしそれが、後のレディー・ガガを生み出すのです。
ガガが幼少の頃、家族で出かけた高級レストランで、ガガは大はしゃぎして歌いながら店内を走ります。
普通なら親として叱るのが当たり前ですが、シンシアは注意すらしません。
それどころか拍手して、
と褒めていたのです。
また、父が娘を上品に育てたいとピアノを買い与えたものの、立って弾くなど、とても上品とは思えない振る舞い。
それでもシンシアは娘を否定しないで褒め続けたので、ピアノの才能は開花していきました。
ピアノを買い与えて1年後、驚くべきほど上達したガガは、クラシックの名曲を聞いただけで弾きこなし、楽譜なしで覚えるのが得意になっていたのです。
やるべきことはきちんとやらせる
11歳のガガは、ニューヨークでも指折りのお嬢様学校に進学します。
そこでは、スカートはひざ下まで、ソックス・靴の色は限定と、とにかく校則が厳しかったのです。
でも、ガガは派手で奇抜なファッションで、先生に叱られても止める気配は全くなし。
普通なら退学ですが、ガガはそうなりませんでした。
その理由は、成績が常にトップだったからです。
しかも、学校のレベルをはるかに凌駕するほどでした。
好成績の裏には、母の断固たる姿勢があったんです。
と言い聞かせ、そこだけは決して妥協しなかったのです。
そのようにして、学校での成績は良く、奇抜なファッションは黙認されてひと際目立つ存在になったガガですが、それを良く思わない生徒も出てきます。
ここは親の力を自分の力と誤解することの多いお嬢様学校、自分の力で光放とうとするガガは癪に障る存在だったのです。
そこからガガはいじめられるようになりました。
心に負った傷を両親に知られたくない・・・
そういう思いからガガは家に帰っても何事もなかったように明るく振る舞おうとしていました。
しかしシンシアはガガの何気ない声だけで異変を見抜いていたのです。
「何かつらいことあったでしょう?
あなたには特別なものがある。自分がユニークな存在だと思い続ける強い意志を持ちなさい。ママが応援して見ているから。」
と、声をかけて励ましたのです。
実はシンシアは、個性を大事にすると決めた時から、娘はいじめにあうかもしれないと覚悟していたそうです。
才能は見られてこそ伸びる
シンシアは高校生になったガガを連れ、ナイトクラブに行きました。
ナイトクラブというと、当然ながら子供が来るところではありません。
場違いな所に娘を連れてきたのですが、それは、音楽にうるさい大人たちが集まるここで、ガガにピアノをひかせようと考えてのことだったのです。
「子供じゃないの?」
と場内がざわつく中、シンシアは
と、ガガを勇気づけました。
ガガは母の言うことを信じて、今まで家でずっと弾き続けていたクラシックの名曲を渾身の力を出して弾きます。
客達は、「あの子すごいぞ!」と鳴りやまない拍手で絶賛!
個性はこうやって強くなる。拍手をもらえば辛いことなんて消える。
ということを経験し、自身を持つようになります。
自分を愛することを忘れない
17歳になったガガは、全米屈指の難関大学、ニューヨーク大学に飛び級で進学します。
毎年20人しかない芸術学部早期入学枠を獲得し、アーティストの道で勝負すると決めていたのです。
演劇、歌など、自分の個性を表現しようとなんでも挑戦する日々を送っていました。
しかし1年後、両親に突然、
私が学ぶものは大学にはないということがわかったから、大学辞めるわ。
1年で結果がでなければ家に帰る。
と、告げます。
ガガは、マドンナのようなスターになると決めていたのです。
母は、
と、応援の意志を示します。
そうやって大学を辞めて作詞作曲の活動をしていたのですが、なかなか売れる気配がありません。
誰からも評価されなかったのです。
仕送りなしで、昼夜バイトに明け暮れ、わずかな食事で空腹を満たしながら曲を作っていました。
自分を輝かせるにはどうすればよいか?と考えながら行動していましたが、ついには行き詰まり、気がつけばドラッグに手を出してしまいます。
そして1年で結果がでなければ家に帰ると約束していたのに、家族と連絡を絶ったまま3年が経ってしまいます。
そんなある日、ガガのマンションに突然両親が訪ねてきました。
部屋は散らかり放題、娘のすさんだ暮らしぶりを見て、父は、
そしてガガは泣きながら、
しかし、いつもなら何でも許す母は違いました。
「しっかりしなさい!どうして自分を信じないの?
あなたは美しいし、才能もある。
世界のトップにだってなれる!自分を愛しなさい!」
そう言って突き放し、家に帰ったのです。
母の言葉が胸に突き刺さったガガは、再びライブハウスで演奏を始めました。
舞台はここにしかない・・・でも酔った客には歌声が届かない・・・
どうしたら私を見てもらえるのか?
聞いてもらえさえすれば、私の個性は世界を変えることができるのに・・・
そう考えたガガは、ピアノを叩きつけ、下着姿になって再び演奏を始めたのです。
鬼気迫る姿に客は圧倒され、ガガの歌が届き始めました。
このように、人と違うことに命をかけたことで、歌唱力とセクシーパフォーマンスが好評になり、アーティストとして認められるようになったのです。
母への想いをこめた曲のフレーズ
2011年発売した大ヒット曲、「Born This Way」。
実はこの曲、成功に導いてくれた母への感謝を込めた曲になっています。
歌詞を良く聴いてみると、母から影響を受けた言葉が散りばめられています。
下は「Born This Way」の歌詞の日本語訳の一部です。
あたしが若い頃 ママが言っていた
「みんな生まれたときからスーパースターよ」
髪をまくりあげて口紅を塗ってくれた
ガラス張りのブードワ(化粧室)で
「ありのままの自分を愛せばいい」ママが言ったわ
「そのままで完璧なあなたを神は創ったの」
自分らしいままで美しい
だって神には一寸のブレもない
このまま進めばいいのよベイビー
私はこの運命のもとに生まれてきた
ガガはこの曲で成功した後、「ボーンディスウェイ財団」を母親と共同で設立し、いじめ撲滅、若者支援を行っています。
震災の時も日本に多額の寄付金を贈って応援してくれましたね^^
その他にもいくつか慈善団体に関与して社会貢献活動を行っているようです。
慈善活動に貢献したセレブリティのランキングで2010年から2年連続1位に輝いています。
目立つような個性を育て、貫くのはなかなか難しいことです。
この教育方法は破天荒と言われても仕方がないのかもしれませんし、同じように真似するのは難しいかもしれません。
シンシアのように、子供がいじめられるのを覚悟して普通異常に注意深く変化を見る必要もあるでしょう。
一番大切なのはどんなやり方であったとしても信念を持つということでしょうね^^
その場その場で親の言うことが違っていたり、自分は出来ていないのに子供にだけ守らせようとしていては、信頼できませんしね。
それはどんな教育をするにしろ、必要なことだと思います。