「逆境をはね返す力は努力から生まれる」
これは世界のホームラン王、王貞治さんの言葉です。
王さんは、現役時代に868本のホームランを打って、ホームラン世界新記録を樹立、
政府が国民栄誉賞を作るきっかけにもなりました。
しかし王さんは、決して天才肌というわけではなく、
実はものすごい努力の人だったんです!
逆境からスタートした野球人生だったんですね。
今回はそんな、王貞治さんの努力のエピソードを紹介します。
全く打てなかった新人時代
王さんは、早稲田実業学校を卒業して18歳で巨人に入団しました。
周囲に期待されて入団したのですが、
プロ初打席から26打席連続でヒットがありませんでした。
入団から3年間、まったく打てなかったんですね。
ファンからは、
という罵声もあびせられることもありました。
コーチからも
と言われることも。
そこで王さんはある行動に出ることにしました。それは、
とにかくバットを振り続けるということです。
究極の肉体を作り上げた努力
王さんはさらに行動に出ました。
試合の前後に荒川博打撃コーチの家に通ってバットを振り続けたんです。
畳の上で素足で素振り1000回以上。
畳が擦り切れて足がささくれ立って、足から血が出ても、
直の感触を大切にして素足にこだわり、バットを振り続けました。
そのためコーチの家の畳は、1年間で5回も取り替えたそうです。
荒川コーチは後にこう語っています。
当時の監督で、現役時代にバッティングの神様と言われた川上哲治監督も、
と言っていたそうです。
そのような素振り練習を続けた結果、王さんは、
構えているフォームを人がどんなに押してもビクともしない、究極の肉体を手に入れたのです。
そのような強靭な下半身が、一本足打法という、
方足でも芯がぶれないバッティングフォームを生み出したんですね。
それから王さんは、入団4年目から13年間連続でホームラン王になったのです。
その仕事にぶつかっていかないと本当の解決はできない
王さんは、ホームランの快感を一回でも多く味わいたいという思いが強かったそうです。
「人間はミスをするものだ」とよく言われますが、
王さんの想いがどれほど強かったのかは、その発言に対するこの答えからよくわかります。
王さんにとっては、甘い球をホームラン出来ないのはミスだったんですね。
実際王さんは引退を決めた時、「私は30本打てないからもう引退します」と言って引退しました。
引退する最後の年にはホームランを30本打ってるのですが、
これよりも1本でも減ったら、王さんとしては恥ずかしいという思いだったのでしょう。
このような高いプロ意識と血のにじむような努力が、前人未到の記録を生みだしたわけです。
王さんは後にこう語っています。