「体罰」に関する考え方は人それぞれで、非常にセンシティブなものです^^;

言葉の意味は、国語辞典(大辞泉)では「肉体に直接苦痛を与える罰」としていますが、
文部科学省では、「機械的定義はできないので、個々の事案ごとに判断する必要がある」としています。

世の中には、少しでも叩いてはいけないと考える人もいれば、「暴力」と「体罰」は違うと考える人もいます。
私は後者の考えで、世間では「暴力」と「体罰」、言葉の真の意味が混同されて使われていると思うのです。

私は、子供が悪いことと知っていながら行った時反省を促すことを目的として叩くのが体罰だと考えています。
部活動など、うまくできなかったとか言うことをきかなかったからといって手をあげるのは「暴力」です。

私は子供の頃、叩かれて反省した経験があるので体罰が必要な時もあると考えていますが、だからといって安易に行って良いものではないと考えています。

子供に叱る意味が通じなければ、それは「暴力」になってしまうからです。
私はそのように、叩かれることが理不尽に感じた経験もあります。

世間で騒がれている例も、間違ったやり方で「暴力」になってしまった「体罰」が取り上げられて、過剰に「体罰は良くない」という論調になっていると思います。
それも行き過ぎると危険だと思うんですよね。

「やってはいけない!」というのは簡単ですが、それだけでは思考停止です。
じゃあ目の前の問題をどう解決するのか?
「もっと良い方法があるはずだ」とあいまいにして、結局何にも出来ていないケースがたくさんあります。

では、体罰についてどう考えるか?
ヨコミネ式の横峯さんの本でも、体罰について書かれていました。

この本によると、横峯さんも「体罰はタブーではない」と言っています。
とはいっても、やみくもに手をあげるのではなく、感情的になるのでもなく、タイミングはかなり考えなければいけません。

それは言っても聞かないというのが前提で、その中で「ここぞ!」というのが判断できる時です。
そして、叩くことだけでなく、その後のフォローもきちんと考えていく必要があります。
この本には、横峯さんの場合はどうやるのか?そのヒントが書かれていました。

日常的に子供が言うことを聞かないなら手をあげることも必要

子供が言うことを聞かなくて困っているという方、いると思います。
横峯さんによるとそれは、「親の言うことを聞く必要がない」と思っているからなのだそうです。

心のどこかで親を軽く見ているんですね。
そして親と子の立場が逆転してしまいます。

それは、日頃の習慣から生まれたもの。
子供が悪いことをしても親が叱らないと、子供に悪いことをしている自覚が生まれません。

そういうやり方をしているとそのうち逆転現象がおこるのも当然ですが、叱ったとしても優しすぎる叱り方だったりすると、それは子供には叱られているのかどうかわからないのです。
結果として、自分が悪いことをしたと反省することはなく、ここでも逆転現象が生まれます。

そのような子が大きくなるとどうなるでしょう?
自分の中に規律ができませんし、両親に守られている感じもしないので、心が不安定になります。

このような結果を招きかねない親子の立場逆転状態は、大きくなってから修復するのはかなりの努力が必要です。
なので、10歳までは「親の言うことは絶対」ということを教え込む必要があるのです。

「褒めて育てる」ということにとらわれ過ぎると、叱ることがいけないことのように思われがちですが、叱るべきことはきちんと叱らなければいけません。

「体罰はよくない」はきれいごと

「体罰はよくない」と、色々なケースを一緒くたにして、手をあげること自体が良くないものとする人もいます。
確かに、手をあげずに違う方法で解決できるのなら、それをやるべきでしょう。

しかし、言うことを聞かない子供相手に、言葉で言い聞かせようとするのはナンセンス

最初から手をあげるのは良くありませんが、いくら言っても聞かない子がいるのも事実です。
そういう子には、ここぞと思うときにビシッと示しをつけることが大事で、そういうときには「叩く」もありとのことです。

叩くことが効果的なのは主に男の子の場合
(女の子はあまり効果的ではなく、別のやり方があります)
ただ、全ての男の子に対して「叩くのが必要」というわけではありません。
違う言い方をしたら理解する子もいるので、その場合は叩く必要はないでしょう。

叩くことが必要になるのは、自分の我がままで言うことを聞かない場合です。
理解できていないのか、聞きたくないのか、子供をきちんと見て判断する必要があります。

しかしそれでも、叩くのはあくまで奥の手。
少々のことは目をつぶっても、ここは肝心だと判断した時だけです。

子供に怪我をさせない叩き方

叩く時は、親が冷静な時でないといけません。
感情的になっている時は、「ここぞ」という見極めが出来ません。
主観で判断してしまうので危険です。

そして、叩くものとして、竹製の物差しを用意します。
竹製の物差しを使う理由は二つあります。
それは、

  • 叩く力が強くなりすぎてしまうことはない
  • 物差しを用意する間に、「ここぞ」という判断が本当に正しいか考えられる

ということです。

そして、ズボンを脱がして太もものなるべく柔らかい部分を躊躇なく叩きます。
頭などは怪我する可能性がありますが、太ももなら「痛い」で済みます。

叩く時はミミズ腫れするくらいに叩きます。
「痛い」と感じるのが大切で、いくら言ってもいうことを聞かない子には叩くことで言い聞かせられることもあるわけです。

叱られる理由が分からない子には口で説明で良いですが、聞かない子は言われていることを理解していても聞きたくないから聞かないのです。
わがままを許していては甘やかしになってしまいます。

叩いた後はくどくど責めない

叩いた後の対応も大切です。
ここで痛がって泣いている子を見て、

「かわいそうに・・・」

と同情してはいけません。
子供は慰めてほしくて泣きますが、「いけないことはいけない」と、親はビシッと筋を通す必要があります。
ここで、

「あなたがこんなことをしたからよ!」

といった説明をしようとすると、子供の言い訳が始まります。
何を言っても聞く耳を持たず、自分を正当化しだすのです。
そうなると、なかなか反省せず、それどころか、

「自分は悪くない。周りが全て悪い」

と権利だけを主張するようになってしまいます。
それが続くと、大人になってからも周りのせいばかりにして試練を乗り越えられない子になってしまうことに繋がります。

なので、対処としては、叩いたら、泣いていても放っておいて、親はその場からいなくなることです。

そうすれば子供は、言い訳は通用しないことが身にしみますし、慰めてくれる人がいなければ泣き止みます。

泣きやんだ後の対応

子供が泣いている間は冷静に話を聞きません。
なので、泣きやんだころに再び、物差しを持って登場します。
そして、

「わかったか!」

と言葉をかけます。
いちいち説明しなくても、これだけで子供は十分解っているんです。
なぜなら、聞きたくなかったわけですからね^^;

そしてもう1つ大事な言葉かけが、

「今度やったら2発だよ」

ということ。
これで「やってはいけないこと」を身をもって覚えるわけです。

それでも繰り返すなら、約束通り2発叩きます。
このやりとりを繰り返せば、言うことを聞かない子も変化が見られるようになります。

女の子には「体罰」ではなく「無視」

言うことを聞かない男の子の叱り方は上で説明したようなやり方ですが、女の子の場合は向いていません。
どうしたらよいでしょう?
それは無視するということです。

女の子はお母さんが大好きで、何でも真似をして成長していこうとします。
なので、言うことを聞かなかった時は「無視する」というのがこたえるのです。

口も利かず、視線も合わせず、絶対に親の方から折れないことが大切です。

なぜ無視されるのか、女の子は解っています。
なので自分から親の機嫌を取ってくるのです。
もしそれで謝ってきたら、

「わかったね」

と言ってあげることで、親の言うことを受け止めてくれるでしょう。
そうではなく、叱られて泣きだしたら、男の子と同様に放っておきます。
くどくど理由を説明すると、周りのせいにするようになるのは一緒です。


このように、「体罰」は、使う時には冷静な判断が必要です。
親自身が考え方の芯を持っていなければいけませんし、タイミングの選び方やその後のフォローも考えたうえで「ここぞ!」と判断した時です。

それができないうちは使うものではありません。
感情的に手をあげるのは小手先の叱り方で、一番悪いケースです。

そして、体罰を考える前に、親子のコミュニケーションのあり方を見直してみる必要もあるでしょう。
それで解決する場合もあります。

また、手をあげなくても口で厳しく叱ったり、おもちゃを取り上げたりといった罰もあります。
手をあげることで親の意図が上手く伝わらなかったら、心の傷になって逆効果ですので、手を上げるのはあくまで奥の手。
もろ刃の剣になりえるので、よっぽどのことでない限りやるものではありませんね^^;

そして横峯さんのやり方も、やり方の一つに過ぎませんので、必ずこうすべきというものではありません。
子育てはケースバイケースです。
あるところでは正解でも、あるところでは間違いなこともありますし、正解は一つではありませんので、あくまで参考の一つとして下さい^^