2011年9月21日放送の「ほんまでっかTV」で、教育評論家の尾木ママが、
「モンスターティーチャー 深刻度ベスト5」というものを紹介していました。
("ベスト"というのもどうかと思うので、この記事ではちょっとタイトルを変えさせていただきました^^;)

以前、深刻化するモンスターペアレント 5つのタイプというのを紹介しましたが、今回は教師編です。

最近、教育の質の低下がさけばれていて、考えられないような問題を起こす教師の話を聞く機会が増えましたよね。
そんな問題行動を起こす先生はごく一部の先生なのですが、良い話題はなかなか伝えられなくても、
悪い話題があるとすぐに報道するのが世の中なので、どうしてもそういう悪い話を聞いてしまうものです^^;

単なる教師個人の問題だけじゃなくて、社会環境の問題も関係していると思いますが、
まずは数々の教師を見てきた尾木ママが分類した、5つのタイプのモンスターティーチャーを見てみましょう。

1.自己中心型

自らの仕事や出世のために生徒への授業や指導をおろそかにする教師です。

例えば、過去の実例では、期末テストの採点を、
生徒にお小遣いを渡してやってもらったという
例があるそうです。

1クラス1,000円の報酬で、教師の言い訳によると、

「自分は他の採点で忙しいから」

ということでした。

授業中にやる小テストは、隣の生徒同士で交換して採点するなどの工夫しても良いと思いますが、期末テストは内申書にも繋がるたいせつなもので、責任を持って採点しなければいけないはずですよね^^

そして、点数を見られたくない生徒もたくさんいるはずです。
プライバシーの問題にも繋がると思うのですが、忙しさのあまり、その辺を疎かにしてしまう教師がいたということです。

これは、教師個人にも問題がありますが、こういう教師を生みだした背景には、
会議が多くて自分の仕事が進まないという現実があったり、
それだけ会議をしなければなならいという、社会が学校に責任を押し付けすぎているという問題もあると思いますね。

その他、自己中心的な教師の例として、
自分の勉強をするために、授業を自習にしてしまう教師もいるようです。

教師が出世すると学年主任や教頭、校長になるわけですが、
それは自動的になれるわけではなくて、指導主事試験や教頭試験など、
試験を受けなければなれないわけです。
その勉強をするために、授業を自習にしてしまうわけですね。

そのような、本当の目的を忘れた教師に、教頭や校長になって欲しくないものです^^;

また、授業を休んで地方研修に行く教師もいるそうです。
当たり前ですが、学校側でも研修は出張扱いとして認められます。

研修に行くこと自体が悪いわけではありません。
むしろ積極的に教師が成長していくことで、生徒が得られるものの質も高くなりますからね。

問題なのは、研修に行く動機として、校長や教頭からの評価を高める為に行く教師がいるということ。
また、研修者を多く出すと校長の評価も上がるのが今の教育システムです。

表面的な教育は勘弁してもらいたいものです^^;
評価制度も、もっと内面を見るような方法に改革すべきではないでしょうか?

2.常識逸脱型

教育者として常識と非常識の判断がつかない教師のことです。

過去の例だと、生徒の成績表や、学級日誌、
生徒個票(住所・電話番号・家族構成が記載されているもの)などを、コンビニのゴミ箱に捨てた教師が問題になったことがあります。

なぜそのようなことをするのか?それは、
教師がプライバシーのことを甘くみているということもありますが、
法律の規制によって、学校での焼却炉の使用が抑制・廃止されたという背景もあるようです。
(シュレッダーを利用すれば解決するようにも思えますが^^;)

ちなみに学校の焼却炉が廃止された理由は、ダイオキシンの問題です。
教育家庭新聞によると、猛毒物質のダイオキシンは、特に学校などで使われている小型焼却炉で発生しやすいといわれているそうです。
最近は、紙類でもコーティングされているので、ダイオキシンの発生の恐れがあるわけですね。

常識逸脱型の教師の話に戻して、その他の実例を挙げると、
ある学校が韓国への修学旅行に行って、その時に11人の教師が引率したのですが、
自由行動の時間の時、校長を含めた5人の教師が、別のツアーに参加して、
生徒達がいる場所から60km離れた所まで行ったという問題があったそうです。

自由行動と言っても、それは生徒側の話。
自由行動中であっても、教師は生徒の行動をチェックする責務があるのです。
決してプライベートな旅行ではなくて、仕事中なのです。

3.過剰ペナルティ型

生徒の問題行動に対して異常な罰を与える教師です。

過去の実例では、サッカーでシュートを決められなかった生徒に、裸でグラウンドを走るように命じた教師がいました。

教師の言い訳によると、次にこうなりたくないという思うだろうから、それによって集中力をつけさせようとしたということでした。

その他にも、給食を残した児童に対し、罰として素手で食べるよう強要したということも過去にありました。
こちらも過剰ペナルティ型です。

尾木ママによると、生徒がやった内容と違う罰を与えることは
間違った教育指導だと指摘しています。

それは本当にその通りだと思います。

最近は、教師が生徒に手をあげることを「体罰だ」と問題にしたり、
教師が生徒を叱ること自体ををよく思わない親がいたり、という風潮がありますが、
本来は、このような過剰ペナルティに向けられるべきなのです。

手をあげて叱ることは大切な一面があるので、やる時はやるべきなのですが、
不必要な恐怖感でやらせても意味がないんです!

考え方としては、子供がやった内容と、同じレベルで叱るべきなのです。

参考:ニューロロジカルレベルで考える、上手な叱り方

または、心理評論家の植木 理恵先生によると、脳が報酬と感知するように叱る、例えば
「君に期待していたのに残念・・・」
と叱ることも有効ということです。

叱ることに対する過剰な反応は、の教師が生徒に叱ることを難しくしてしまい、
効果的な叱り方を見いだせない状況におかせてしまっています。
教育が疎かになる原因になっているわけです。

後ろに立たせるだけで「体罰」という扱いになりかねないですし、
言葉で叱ると、生徒をいじめたという扱いにもなりかねません。

なので教師は言葉や行動一つ一つに気を配らなければならなくなり、教育に集中できないわけですね。

何をもって体罰とするのか、もう一度よく考えてみるべきではないでしょうか?

4.セクハラ型

立場をわきまえず性的な要求を教育現場に持ち込む教師です。
女子生徒の帰りを待ち伏せしたり、無意味に家庭訪問をして、会いに行く教師もいるそうです。

軍事評論家のテレンス・リー先生によると、最近は
先生にストーカーされたという相談が多いんだそうです。

また、尾木ママによると、
最近はメールでセクハラをするケースも増えているんだとか。

子どもの時に受けたセクハラは、成人になってもトラウマとして残ってしまうので、深刻です。

このような教師は、「子供が好き」という要素は持っているのですが、
考え方が歪んでいるわけで、たとえストーカーを止めさせたとしても、
次の年はまた別の生徒を標的にする癖があるようです。

もはや、教師以前の問題で、社会で生きていく上でも問題がありますので、
なんらかのカウンセリングを受けさせるなりの対策は必要ですね。

また、教師として生きていく上での世の中の窮屈さも、
考え方の歪みを作らせていると思います。
親や地域社会とのコミュニケーションも必要なのではないでしょうか?

5.逸脱授業型

本人は真面目だが社会的な常識が欠けているために異常な授業を展開してしまう教師です。

実例では、理科の授業で"呼吸"のメカニズムを
生徒の首を絞めて説明した教師がいたようです。

生徒は苦しんだそうですが、口も鼻もふさがれていたので失神してしまい、揺さぶると息を吹き返したので、平然と授業を再開したそうです。
そこまでやらなくても、"呼吸"のメカニズムはわかりますよね^^;

また、算数のテストで、

「8人のうち3人殺したら残りは何人?」

という問題を出した教師がいたのも以前問題になりました。

そのような教師が出ないためにも、現在「教員免許更新制」といって、
小学校、中学校、高校の教師は、定期研修を受けないと教員を継続できないという制度が出来ています。

しかしそれでも、問題教師が出てくるのが現状です。

このように常識から逸脱しているのは、やはりコミュニケーション不足からくるものだと思います。
教師は、一般の会社のように、上司や先輩が直接教えてくれる、ということはあまりありません。
自分の力量で腕を磨いていかないといけないわけです。

そして、何が常識化はコミュニケーションから生まれてくる物。
昔は地域とのかかわりが活発だったのですが、
今は昔ほどではありませんね^^;

ますます教師が孤立してしまう理由は、地域社会が教師に教育の責任を背負わせすぎているという面もあるのだと思います。


尾木ママが紹介してくれた、モンスターティーチャーのパターンはこれだけですが、
こういうことをするのは一部の教師で2~3%ほど。
教師のほとんどは優秀な方が多いんです。

なので、教師の質が全体的に低下しているわけではありませんので、
今の教師は教え方が悪いと考えてしまうのは横暴です。

モンスターペアレントも、それは一部の親の話であって、
全ての親がモンスターではありませんよね^^;

問題だけ見ていると、教師の行動だけが問題に見えてしまいがちですが、
どの問題にもその裏で色々な要因が関係しているように思えます。